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ダイエットと夫婦関係 [日記]
何故か書きそびれていたが、実は十月から大宮駅近くのヨガ教室に通っていた。仕事を辞めてから食後にせっせと歩いて2kgくらい減ったのだが、その後ぴくりともしない体重計にうんざりして、「やっぱ何か運動でも。でも、私・・・ジムって好きじゃないんだよなぁ。機械に向かってひたすら走ったり筋トレするのって全然楽しくない。ああ、昔通ってたジムでやってたエアロビックスは音楽に合わせて踊るようなものだからまだしもいいんだけど、見てるより格段に辛くて最後のほうなんか息が切れる。しばらく運動らしいものを全然してない私でも何とかなりそうなもので、それなりに筋肉動かすんだったらヨガとかいいんでないかな」という動機だった。
その後、2ヶ月経過するも体重は減るどころか元に戻ってる!!本当に効果があるのかと危惧しつつも、「まあやっててストレス解消になるからいいかぁ」と、今月も週2回ペースでせっせと通っていた。そして今週の木曜日、「せっかく買ったんだから久しぶりに乗らないとなぁ」と体重測定。おおおおお!ダイエット開始約半年で6kg減ってるじゃないかぁ!!
一昨日の夕方、喪中葉書&お歳暮(どちらも旦那宛)についてメールで連絡した。ついでに(というよりこっちの方が自分の中ではメイン)現在の体重を申告した。でも、その日も翌日もノーリアクション。で、昨日の夜に電話してみた。口実は「三連休なのにお父さんが帰ってこないと長男が心配してる」
すると旦那曰く「あと12kgは痩せないとねぇ」・・・違うだろぉ、そのリアクション。なんか違うと思うぞ!確かにその通りなんだけどさぁ、まずは褒めろよ!!
この時、私は改めて確信したのだ。なるほど、女がやたらいて社内結婚率が高い保険会社勤務の癖に30過ぎ(21年前の基準だと、男でもこれはちょっと晩婚気味)ながら結婚できなかったわけだ。この旦那、お外では男女問わず気配り君をやれるけど、プライベートとなるとどーも女性の取り扱い方がわかってない。本人は、「仕事忙しいから会社以外出会いがないし、当時社内の女の子は関東出身者ばかり。自分は老後九州に住みたいけど、東京が都会の基準だから彼女たちはそんなとこ地の果てくらいに認識してる。それじゃ帰れないから、せっせと帰省しては九州出身者と見合いしてたんだよ」なんて言い訳してたが、本当に好きな子が出来てうまくいってたら、社内であってもさっさと結婚できてたんじゃないか?「言い寄ってくる女の子もいたんだよ。でも彼女たちは僕の収入を知っててそうするわけだからねぇ、気が進まなくて」・・・もっともらしいけどさ、それって要するにオスとしては魅力に乏しいってことじゃん。
その一方で、次男から「なんでお母さんと結婚したの?」と聞かれ、「うーん、なんでだろうなぁ。最初見たときは妙なパーマのかかったヘアスタイルでさ、内心“似合ってると本気で思ってるんだろうか、この人”なんて思ったんだよねぇ。何故だか今でもわかんないよ」と答え、その“妙なパーマ”の部分だけ強調して次男が私にばらしたものだから、お互い「私が拾ってやったんだ!」と言い合い合戦になったことがある。
それでも結婚前は、私の仕事(薬剤師だから、薬や麻薬はもちろん調剤機械の事まで含む)のことなどあれこれ訪ねてきて相当専門的なことまで説明したら存外理解が早く、更に的確な質問を繰り出す。こっちも判例等で疑問に思ったことなど訪ねると実にわかりやすく説明してくれる。お互い自分の得意分野について楽しく知識を交換した挙句、決まってこう言ったものだ。
「いやー、さすが薬剤師さんだ。とても勉強になりましたよ」
私は当時も今も、あんたの愚痴を聞いてあげて「それはもっともだ。あなたは間違ってない。周りが馬鹿だ」などと一生懸命フォローしてるつもりなんだけどなぁ。なんか最近、リアクションが思春期真っ盛りの次男と大差ないんだよねぇ。もしかして甘えてるのか?私はいつの間にか、三人の息子持ちになっちゃってるのか?
その後、2ヶ月経過するも体重は減るどころか元に戻ってる!!本当に効果があるのかと危惧しつつも、「まあやっててストレス解消になるからいいかぁ」と、今月も週2回ペースでせっせと通っていた。そして今週の木曜日、「せっかく買ったんだから久しぶりに乗らないとなぁ」と体重測定。おおおおお!ダイエット開始約半年で6kg減ってるじゃないかぁ!!
一昨日の夕方、喪中葉書&お歳暮(どちらも旦那宛)についてメールで連絡した。ついでに(というよりこっちの方が自分の中ではメイン)現在の体重を申告した。でも、その日も翌日もノーリアクション。で、昨日の夜に電話してみた。口実は「三連休なのにお父さんが帰ってこないと長男が心配してる」
すると旦那曰く「あと12kgは痩せないとねぇ」・・・違うだろぉ、そのリアクション。なんか違うと思うぞ!確かにその通りなんだけどさぁ、まずは褒めろよ!!
この時、私は改めて確信したのだ。なるほど、女がやたらいて社内結婚率が高い保険会社勤務の癖に30過ぎ(21年前の基準だと、男でもこれはちょっと晩婚気味)ながら結婚できなかったわけだ。この旦那、お外では男女問わず気配り君をやれるけど、プライベートとなるとどーも女性の取り扱い方がわかってない。本人は、「仕事忙しいから会社以外出会いがないし、当時社内の女の子は関東出身者ばかり。自分は老後九州に住みたいけど、東京が都会の基準だから彼女たちはそんなとこ地の果てくらいに認識してる。それじゃ帰れないから、せっせと帰省しては九州出身者と見合いしてたんだよ」なんて言い訳してたが、本当に好きな子が出来てうまくいってたら、社内であってもさっさと結婚できてたんじゃないか?「言い寄ってくる女の子もいたんだよ。でも彼女たちは僕の収入を知っててそうするわけだからねぇ、気が進まなくて」・・・もっともらしいけどさ、それって要するにオスとしては魅力に乏しいってことじゃん。
その一方で、次男から「なんでお母さんと結婚したの?」と聞かれ、「うーん、なんでだろうなぁ。最初見たときは妙なパーマのかかったヘアスタイルでさ、内心“似合ってると本気で思ってるんだろうか、この人”なんて思ったんだよねぇ。何故だか今でもわかんないよ」と答え、その“妙なパーマ”の部分だけ強調して次男が私にばらしたものだから、お互い「私が拾ってやったんだ!」と言い合い合戦になったことがある。
それでも結婚前は、私の仕事(薬剤師だから、薬や麻薬はもちろん調剤機械の事まで含む)のことなどあれこれ訪ねてきて相当専門的なことまで説明したら存外理解が早く、更に的確な質問を繰り出す。こっちも判例等で疑問に思ったことなど訪ねると実にわかりやすく説明してくれる。お互い自分の得意分野について楽しく知識を交換した挙句、決まってこう言ったものだ。
「いやー、さすが薬剤師さんだ。とても勉強になりましたよ」
私は当時も今も、あんたの愚痴を聞いてあげて「それはもっともだ。あなたは間違ってない。周りが馬鹿だ」などと一生懸命フォローしてるつもりなんだけどなぁ。なんか最近、リアクションが思春期真っ盛りの次男と大差ないんだよねぇ。もしかして甘えてるのか?私はいつの間にか、三人の息子持ちになっちゃってるのか?
生存&死亡報告 [日記]
名古屋旅行3日目・帰宅 [日記]
最終日の朝。うちの母同様、伯母様は元気に早起き。ご飯炊いて、簡単なおかずを2~3品用意。更には味噌汁まで作る。私の実家では朝食は主にパンだったが、亡くなった伯父様は御飯一筋。ついでにお酒も菊正宗一筋。年中燗で、お銚子一本を2時間かけて一人ちびちびとやっていた。そういや、前に遊びに来た時は晩酌してる伯父様の話し相手を勤める羽目になったんだよなぁ。うちの父は、皆が御飯食べ終わるのとほぼ同じスピードで食って飲んでしまってたし、先にこっちが席を立つのはどうも憚られる雰囲気だった。で、伯父様はちびちび飲んでるしテーブルには小鉢がずらっと並んでるしで何となく立ちそびれてしまったのだ。ふと見渡すと、伯母様も従姉弟達もとっくにとんずらしちゃってた。それが亡くなってもう13年になるんだもの。自分自身がものすごーく年取った気分。
しっかり朝食をいただき、そろそろお暇の時刻。まあ別に急がなくってもいいんだけど、何しろもう長男がソワソワしちゃってて面倒なので10時には出ようということに。お仏壇に手を合わせ、荷物を持って外に出る。伯母様が門扉の所まで見送ってくれた。次に来る機会があるとしても、この家はもうすっかり変貌してるんだろうな。
地下鉄への道も覚えてしまったのか、足取り軽く歩いて行く長男。心は既に新幹線に向かってるのだろう。荷物も相当重かろうに・・・若さって凄いね。
名古屋駅到着後、新幹線ホームに向かう途中で長男が何か指差して嬉しそうな顔をした。名古屋市営地下鉄の路線図だ↓↓↓

こんなものを眺めて何が楽しいのか未だによくわからない母に、「ここからここに乗った。あ、こっちも・・・」とにこにこ顔。よかったねー、全路線制覇だよ。ちなみに、ここの地下鉄のプリペイドカード式乗車券は、「マナカ」という↓↓↓

名古屋での住まいから会社まで地下鉄で通勤するパパも当然所有してた。「マナカってネーミングの由来は何なんだろうね」と尋ねると、「真ん中ってことだろ、日本の・・・」
ふーん、なるほどねぇ。何を基準に言ってるのか不明だけど、なんとなくわかるようなわかんないようなわかりたくないような・・・ちなみに、JR東海のICカードはTOICAと言う。
新幹線の改札を通過し、待合室に長男を待たせてお土産&弁当の買い出し。弁当は同じものを三つ買う。一つは「なんか、名古屋の名物食いたいなぁ。味噌カツとか」とつぶやいてた次男の夕食用。私と長男は軽く済ませる予定。だって、駅弁ってカロリー高いんだもん。
待合室に戻ってみたら、長男の「まだかー、まだかーーー」という視線が突き刺さる。あー、これはもう限界だねってことでホームへ。東京へ向かう場合自由席である1〜3号車は最後尾になるので、こちらに向かって来る新幹線の写真を撮ってあげようと最後尾付近の列に並ぶ↓↓↓

この段階で「あ、N700系だ!」と歓喜の声を上げる息子。従来の700系と何がどう違うのかさっぱりわからない母を尻目に、今回初乗車となる喜びが全身にみなぎっている。停車してドアが開く前にもう一度撮影したのが下の写真なのだが・・・やっぱり違いがわからない↓↓↓

発車後即座に駅弁を要求される↓↓↓

名古屋名物、味噌カツ・天むす・エビふりゃー・ひつまぶし入り。天むす以外は全部単体で食べたものだけど、ここは次男最優先ということで。
名古屋駅からそうだったが、帰宅途中の駅はどこも結構混み合っていた。お盆の帰省ラッシュが始まりかけていたらしい。まあ、私達は逆方向をたどってるんでまだしもだったけど。
帰宅直後に二回洗濯機を回し、夕方遅くに帰ってきた次男の分で更に二回。干し終わったところで夜中だった。
※※8月の半ばに行ったのに、早10月も終わりかけ。いやー、9月中には何とかなると思ってたんですが。涼しくなるにつれ、「おまえは冬眠突入の熊かっ!」と突っ込み入れたくなるくらい眠り姫状態。寝ても寝ても足りない感じで。メンタルクリニックのドクターによると、回復期には結構ありがちな症状なんだそう。あと、伯母様といろいろ話したことで感慨深いものもあったんですが、それは後日に。取りあえず、完!!※※
しっかり朝食をいただき、そろそろお暇の時刻。まあ別に急がなくってもいいんだけど、何しろもう長男がソワソワしちゃってて面倒なので10時には出ようということに。お仏壇に手を合わせ、荷物を持って外に出る。伯母様が門扉の所まで見送ってくれた。次に来る機会があるとしても、この家はもうすっかり変貌してるんだろうな。
地下鉄への道も覚えてしまったのか、足取り軽く歩いて行く長男。心は既に新幹線に向かってるのだろう。荷物も相当重かろうに・・・若さって凄いね。
名古屋駅到着後、新幹線ホームに向かう途中で長男が何か指差して嬉しそうな顔をした。名古屋市営地下鉄の路線図だ↓↓↓

こんなものを眺めて何が楽しいのか未だによくわからない母に、「ここからここに乗った。あ、こっちも・・・」とにこにこ顔。よかったねー、全路線制覇だよ。ちなみに、ここの地下鉄のプリペイドカード式乗車券は、「マナカ」という↓↓↓

名古屋での住まいから会社まで地下鉄で通勤するパパも当然所有してた。「マナカってネーミングの由来は何なんだろうね」と尋ねると、「真ん中ってことだろ、日本の・・・」
ふーん、なるほどねぇ。何を基準に言ってるのか不明だけど、なんとなくわかるようなわかんないようなわかりたくないような・・・ちなみに、JR東海のICカードはTOICAと言う。
新幹線の改札を通過し、待合室に長男を待たせてお土産&弁当の買い出し。弁当は同じものを三つ買う。一つは「なんか、名古屋の名物食いたいなぁ。味噌カツとか」とつぶやいてた次男の夕食用。私と長男は軽く済ませる予定。だって、駅弁ってカロリー高いんだもん。
待合室に戻ってみたら、長男の「まだかー、まだかーーー」という視線が突き刺さる。あー、これはもう限界だねってことでホームへ。東京へ向かう場合自由席である1〜3号車は最後尾になるので、こちらに向かって来る新幹線の写真を撮ってあげようと最後尾付近の列に並ぶ↓↓↓

この段階で「あ、N700系だ!」と歓喜の声を上げる息子。従来の700系と何がどう違うのかさっぱりわからない母を尻目に、今回初乗車となる喜びが全身にみなぎっている。停車してドアが開く前にもう一度撮影したのが下の写真なのだが・・・やっぱり違いがわからない↓↓↓

発車後即座に駅弁を要求される↓↓↓

名古屋名物、味噌カツ・天むす・エビふりゃー・ひつまぶし入り。天むす以外は全部単体で食べたものだけど、ここは次男最優先ということで。
名古屋駅からそうだったが、帰宅途中の駅はどこも結構混み合っていた。お盆の帰省ラッシュが始まりかけていたらしい。まあ、私達は逆方向をたどってるんでまだしもだったけど。
帰宅直後に二回洗濯機を回し、夕方遅くに帰ってきた次男の分で更に二回。干し終わったところで夜中だった。
※※8月の半ばに行ったのに、早10月も終わりかけ。いやー、9月中には何とかなると思ってたんですが。涼しくなるにつれ、「おまえは冬眠突入の熊かっ!」と突っ込み入れたくなるくらい眠り姫状態。寝ても寝ても足りない感じで。メンタルクリニックのドクターによると、回復期には結構ありがちな症状なんだそう。あと、伯母様といろいろ話したことで感慨深いものもあったんですが、それは後日に。取りあえず、完!!※※
名古屋旅行2日目・その3 [日記]
昼食を終え、二丁目残りの散策に戻る。
まずは東山梨郡役所を背にレンガ通り左側の清水医院へ。まあ、外見は何てことない作りだ。もちろん、当時の在所であった長野県木曽郡大川村では充分すぎるほど“ハイカラでモダン”だったのだろうが↓↓↓

でも、明治時代の開業医の診察室がどんなものだったのかという点には個人的に興味がある。私の母方の祖父は、佐賀の田舎(こちらも当時は村)で開業していた。こんな洋風建築(とはいっても、これよく見ると屋根が和風の折衷タイプ)ではなく純然たる和風平屋建てだったけど。
中に入ってみると待合室の向こうに診察室。あらびっくり。中は完全に和風↓↓↓

ああ、あの白い布被せた椅子・・・昔はよくあったよなぁ。爺さんもあんなのに腰掛けてたんだろうか。左横にあるパネルによると、島崎藤村のお姉さんがここに入院していたことがあり、彼女をモデルにした「ある女の生涯」には“蜂谷医院”という名前で登場してるそうだ。
待合室の隣には調剤室がある。中に入ることはできないが、戸は開け放たれている↓↓↓

おおお、木製の棚にガラスの薬瓶。中央の卓上にあるのは天秤ばかり。向かって左側の棚にはビーカーらしきものも見える。なのに畳敷き!多分、座って作業してたんだろう。昔は医薬分業体制ではなかったから、小さな開業医にだってちゃんと調剤室があったのだ。母の実家(=祖父の医院)に住んでた頃、「ここが調剤室だったのよ」と聞かされたことがある。でも待てよ。じゃあ診察室はどこ?玄関入ってすぐの和室はせいぜい四畳半くらいだったと思うし、その隣の八畳間か?いやいやいや、そんなに必要ないだろーし他に部屋といえば八畳間の左隣に廊下を挟んで調剤室、右隣に六畳、あとは台所(とはいっても、土間&かまど&水場&板の間という今で言うところのリビング・ダイニングキッチン。少人数ならここで食事ができる)、そして八畳間の奥に十畳&十二畳の二部屋ぶち抜きで使えるお座敷くらい。八畳間を診察室に使ったら、家族のプライベートスペースなんてないに等しい。やっぱり、玄関脇の部屋だろうな。混んできたら、調剤室前から玄関脇に続いている廊下に座布団でも敷いて待っててもらえばいい。そもそも、田舎の村だったから患者が少ない割には広範囲に散っている。足が悪かったという祖父は、人力車で往診に出かける事が多く、そのために住み込みの車夫さんがいたそうだ。うむ、これは今まで考えてみたこともなかったな。母が死ぬ前にちゃんと確認しておかなくては・・・
などとあれこれ考えながら調剤室に見入ってたら、「ほらほら、時間がないから次行くよ」と段取り君に強制連行された。あー、私の萌えポイントがぁぁぁぁぁ!
泣く泣く次の東松家住宅へ↓↓↓

ここもガイド付きでないと中の方までは入れてくれないが、ある程度は見られる。何と木造三階建てで外見はこぢんまりとまとまってるが、玄関入ると二階部分くらいまで吹き抜けになってて結構広く感じる。面白そうなのだけど、時間も押してることだしガイドを待つのは断念。
隣の京都中井酒造の建物内には尾張茶寮という和風喫茶がある。尾張名物「たません」というのがどんなものなのか興味津々だったが先を急ぐ。安田銀行会津支店、札幌電話交換局と見て回ったところで後ろを振り返ると、東山梨郡役所から一直線にメインストリートが伸びてて、商家やら銀行やら学校が立ち並ぶという風情がとてもいい感じ↓↓↓

電話交換局のちょっと先には京都七条巡査派出所があり、なんと中には当時の警官らしき格好をしたおじさんが立っていた。案内板を見てみると、頼めば周辺のガイドをしてくれるという。これに限らず、ここのスタッフの服装は明治時代をイメージさせるものが多い。朝も、出勤途中と思しき青年が書生さんの格好で通り過ぎ、私たちに挨拶してくれた。こういう心遣いって好きだな。
ここで二丁目終了。三丁目に移動してまずは北里研究所本館・医学館へ。ここはいわずと知れた北里柴三郎博士ゆかりの場所。北里柴三郎記念室&結核との闘いの歴史というテーマで常設展示コーナーもある↓↓↓

一応医療職であるからにはこれまた興味の尽きないところ。じっくりと見て回り、長崎居留地二十五番館から神戸山手西洋人住居を経て品川灯台へ↓↓↓

灯台であるからと、わざわざ入鹿池の見えるところに配置する心配りが憎い。すぐ隣には三重県にあった菅島燈台附属官舎があり、燈台についていたレンズなど展示されている。近くで見るとかなりな迫力だ。でも、そんなものより私が注目したのはトイレ!何でも、当初ここに住んでいたのはお雇い西洋人の技師さんだったというのだが、トイレは純然たる和式。青の彩色を施した、上流階級などにありがちなタイプ。小の方はともかくも、これでどうやって西洋人が大を排泄したのか・・・旦那は「奥の方に腰掛けたんじゃないの?」と言うけど、それちょっときっついし、第一体格のいい人が座ったら割れそうな気もする。
しょうもないことで悩みつつ、念願の「坐漁荘」方面へ。
ガイドさんがまだ昼休みのようなので、周辺にある茶室「亦楽庵」、幸田露伴住宅「蝸牛庵」、芝川又衛門邸などプラプラと見学。ただし、最後のは「坐漁荘」同様ガイド付でないと入れてくれないので今回はパス。
午後十二時五十五分。そろそろガイドさんが来る頃だろうと坐漁荘玄関へ↓↓↓

本で見たとおり、一見地味な日本家屋だがなんたって元老様の別邸である。結構凝りまくって建てたんだろうなぁとわくわくしながら覗くと、玄関先のお部屋に和服姿の女性が鎮座している。コスプレ?この真夏に和服とは、気合の入ったお客さんやなぁとよくよく見たら、前に立ち入りを制止する結界がある。ああなんだ、ガイドさんか。
夏真っ盛り、夏休み中とはいえお盆前の平日。ただでさえお客は少ない。他は知らないが、この時刻に坐漁荘を訪れたのは我々だけである。幸いなるかな。三重県庁舎で見かけた、バカップル(展示されてる年代物のソファに座ってた。そりゃ、仕切りはないし「座るな」とも書いてないけど非常識)みたいなのと一緒では興がそがれる。
まずは玄関脇の小部屋からご案内開始。ガイドさんによると、こちらの玄関は我々ごとき下々の輩が出入りできるところではなかったらしい。ここをくぐって良いのは天皇のお使いとか、皇族&華族、政府の高官といった方々のみ。なるほど、確かに皇族、華族、士族、平民なんて言ってた時代だものなぁと納得。
西園寺公は竹好きであったらしく、あちこちに意匠をこらして竹を使ってる。窓につけられた格子から、各室を仕切る欄間、網代天井の竿縁はもちろん、ふすまの模様に竹の皮を貼り付けてたり、珍しいのはふすまの縁まで竹を用いている箇所まである。もちろん、床の寄木細工等も凝りに凝ったものばかりで、場所によって模様まで違う。一見地味ではあるが、手間とお金がかかってるのだ。
ちなみに、私は予め本で読んでて知ってたのだが竹の格子の中には鉄棒が仕込まれていたという。これは移築に際し解体してみて初めて判明したのだが、今回ガイドさんの説明により新たなセキュリティシステムが判明した。書生部屋の押入れの奥に隠し扉があり、そこを抜けて女中部屋に行き畳を上げると外への脱出口があるとか、風呂にまで脱出口を設けてあるとか・・・。重要人物だから当然警備はついていたろうに、なおこれだ。「そういえば、2.26事件の時はこの人も標的に入ってたんだよねぇ」と旦那がつぶやいてたが、ほんと物騒な時代だったのだ。
本に載っていた洋風の応接間も実物を見ることができて大満足。なんと、サンルームまである。三面ガラス窓で、当時のものにしては歪みが少ない。昔のガラスは外の風景が歪んで見えるものなのだが。
「これ、歪みが少ないですね。あの当時のガラスですか?」
と尋ねると、
「はい、輸入品だそうですよ」
・・・うっわー、舶来品かよぉ。さすがは元老様だ。
二階に上がると、二間続きのお座敷があり窓からは入鹿池が見える。
「本来は興津の海が見渡せたんですが、せめてその雰囲気だけでも再現をということでこの場所が選ばれました。下をご覧ください。お庭の樹木も残らず移してあるんですよ」
・・・いい仕事してるわぁと感動していたら、ガイドさんが続けて曰く、
「ここには、この建物の中で一番お金と手間がかかってるものがあるんですよ。この欄間です」
説明聞くのと見るのに夢中になってて内部の写真撮るのをすっかり忘れていたので、文章だけで想像してほしい。見た目は細い板二枚を横平行に並べた何の変哲もない欄間だ。しかも、近くに寄ってよくよく見ると、板と板の間の空間がまっすぐに切られてない。微妙に歪んでいる。何でこんなのに一番金がかかってるんだぁ?よっぽど珍しい材木なのか??
「これはですね、一本の丸太の中心部分に竹を丸ごと少しずつ埋め込んでるんです。5年くらいかかってるそうですよ。そして完全に埋め込んだ後、中心部だけを切り出して欄間にしたんです。」
なるほど!間の空間は、竹の形になってるというわけだ。そういえば、竹の節かなぁと思しき痕跡もある。金かかってるのにそうとは見えないこの渋さ。これこそが日本的美学ってものかもしれない。
再び、一階に降りてお勝手口に案内される。とはいっても、我々庶民の感覚からすれば立派に玄関として通用するんだが。ちょっとわかりにくいけど、下の写真がちょうどそちら側になる。

ガイドさんにお礼を言って、坐漁荘を出た。
ここで、旦那が「どうする?まだ見るか?」と聞いてきた。残るは四丁目と五丁目なのだが、これがまた地図で見る限り一丁目~三丁目までをあわせたよりもだだっ広い。時刻は午後二時近く。もはや体力も気力も限界である。それにどうせならゆっくり見たい。次の機会にしようよと名古屋市内に戻り、栄の広大な地下街でお茶でも飲もうということに。
最後に正門近くで記念撮影↓↓↓

夕食は伯母様のお招きで、ひつまぶしを食べた。なんと、うまき(うなぎを巻いた玉子焼き)と肝吸いまで頼んでくださったので大いに堪能。帰り際、旦那がぼそっとつぶやいた。
「俺、名古屋に来て初めてひつまぶし食ったよ。高くて手が出ないんだもん」
ああ、つつましい生活してるのねぇ。確かにうちには、金食い虫が一名いるからなぁ。旦那への仕送りもぎりぎりにならざるを得ない。
帰宅のため地下鉄に乗る。旦那は途中で自宅に戻るため下車。別れ際に旦那が伯母様に帽子を脱いで挨拶する。「今日は伯母さんちに泊まるから、パパにさよならって言いなさい」と長男を促すと、彼はなんと父親に向かって帽子を脱いでお辞儀をした。多分、お父さんがそうしてるんだから自分もそうしなきゃならないと思ったのだろう。照れくさそうに笑いながら、旦那は降りて行った。
まずは東山梨郡役所を背にレンガ通り左側の清水医院へ。まあ、外見は何てことない作りだ。もちろん、当時の在所であった長野県木曽郡大川村では充分すぎるほど“ハイカラでモダン”だったのだろうが↓↓↓

でも、明治時代の開業医の診察室がどんなものだったのかという点には個人的に興味がある。私の母方の祖父は、佐賀の田舎(こちらも当時は村)で開業していた。こんな洋風建築(とはいっても、これよく見ると屋根が和風の折衷タイプ)ではなく純然たる和風平屋建てだったけど。
中に入ってみると待合室の向こうに診察室。あらびっくり。中は完全に和風↓↓↓

ああ、あの白い布被せた椅子・・・昔はよくあったよなぁ。爺さんもあんなのに腰掛けてたんだろうか。左横にあるパネルによると、島崎藤村のお姉さんがここに入院していたことがあり、彼女をモデルにした「ある女の生涯」には“蜂谷医院”という名前で登場してるそうだ。
待合室の隣には調剤室がある。中に入ることはできないが、戸は開け放たれている↓↓↓

おおお、木製の棚にガラスの薬瓶。中央の卓上にあるのは天秤ばかり。向かって左側の棚にはビーカーらしきものも見える。なのに畳敷き!多分、座って作業してたんだろう。昔は医薬分業体制ではなかったから、小さな開業医にだってちゃんと調剤室があったのだ。母の実家(=祖父の医院)に住んでた頃、「ここが調剤室だったのよ」と聞かされたことがある。でも待てよ。じゃあ診察室はどこ?玄関入ってすぐの和室はせいぜい四畳半くらいだったと思うし、その隣の八畳間か?いやいやいや、そんなに必要ないだろーし他に部屋といえば八畳間の左隣に廊下を挟んで調剤室、右隣に六畳、あとは台所(とはいっても、土間&かまど&水場&板の間という今で言うところのリビング・ダイニングキッチン。少人数ならここで食事ができる)、そして八畳間の奥に十畳&十二畳の二部屋ぶち抜きで使えるお座敷くらい。八畳間を診察室に使ったら、家族のプライベートスペースなんてないに等しい。やっぱり、玄関脇の部屋だろうな。混んできたら、調剤室前から玄関脇に続いている廊下に座布団でも敷いて待っててもらえばいい。そもそも、田舎の村だったから患者が少ない割には広範囲に散っている。足が悪かったという祖父は、人力車で往診に出かける事が多く、そのために住み込みの車夫さんがいたそうだ。うむ、これは今まで考えてみたこともなかったな。母が死ぬ前にちゃんと確認しておかなくては・・・
などとあれこれ考えながら調剤室に見入ってたら、「ほらほら、時間がないから次行くよ」と段取り君に強制連行された。あー、私の萌えポイントがぁぁぁぁぁ!
泣く泣く次の東松家住宅へ↓↓↓

ここもガイド付きでないと中の方までは入れてくれないが、ある程度は見られる。何と木造三階建てで外見はこぢんまりとまとまってるが、玄関入ると二階部分くらいまで吹き抜けになってて結構広く感じる。面白そうなのだけど、時間も押してることだしガイドを待つのは断念。
隣の京都中井酒造の建物内には尾張茶寮という和風喫茶がある。尾張名物「たません」というのがどんなものなのか興味津々だったが先を急ぐ。安田銀行会津支店、札幌電話交換局と見て回ったところで後ろを振り返ると、東山梨郡役所から一直線にメインストリートが伸びてて、商家やら銀行やら学校が立ち並ぶという風情がとてもいい感じ↓↓↓

電話交換局のちょっと先には京都七条巡査派出所があり、なんと中には当時の警官らしき格好をしたおじさんが立っていた。案内板を見てみると、頼めば周辺のガイドをしてくれるという。これに限らず、ここのスタッフの服装は明治時代をイメージさせるものが多い。朝も、出勤途中と思しき青年が書生さんの格好で通り過ぎ、私たちに挨拶してくれた。こういう心遣いって好きだな。
ここで二丁目終了。三丁目に移動してまずは北里研究所本館・医学館へ。ここはいわずと知れた北里柴三郎博士ゆかりの場所。北里柴三郎記念室&結核との闘いの歴史というテーマで常設展示コーナーもある↓↓↓

一応医療職であるからにはこれまた興味の尽きないところ。じっくりと見て回り、長崎居留地二十五番館から神戸山手西洋人住居を経て品川灯台へ↓↓↓

灯台であるからと、わざわざ入鹿池の見えるところに配置する心配りが憎い。すぐ隣には三重県にあった菅島燈台附属官舎があり、燈台についていたレンズなど展示されている。近くで見るとかなりな迫力だ。でも、そんなものより私が注目したのはトイレ!何でも、当初ここに住んでいたのはお雇い西洋人の技師さんだったというのだが、トイレは純然たる和式。青の彩色を施した、上流階級などにありがちなタイプ。小の方はともかくも、これでどうやって西洋人が大を排泄したのか・・・旦那は「奥の方に腰掛けたんじゃないの?」と言うけど、それちょっときっついし、第一体格のいい人が座ったら割れそうな気もする。
しょうもないことで悩みつつ、念願の「坐漁荘」方面へ。
ガイドさんがまだ昼休みのようなので、周辺にある茶室「亦楽庵」、幸田露伴住宅「蝸牛庵」、芝川又衛門邸などプラプラと見学。ただし、最後のは「坐漁荘」同様ガイド付でないと入れてくれないので今回はパス。
午後十二時五十五分。そろそろガイドさんが来る頃だろうと坐漁荘玄関へ↓↓↓

本で見たとおり、一見地味な日本家屋だがなんたって元老様の別邸である。結構凝りまくって建てたんだろうなぁとわくわくしながら覗くと、玄関先のお部屋に和服姿の女性が鎮座している。コスプレ?この真夏に和服とは、気合の入ったお客さんやなぁとよくよく見たら、前に立ち入りを制止する結界がある。ああなんだ、ガイドさんか。
夏真っ盛り、夏休み中とはいえお盆前の平日。ただでさえお客は少ない。他は知らないが、この時刻に坐漁荘を訪れたのは我々だけである。幸いなるかな。三重県庁舎で見かけた、バカップル(展示されてる年代物のソファに座ってた。そりゃ、仕切りはないし「座るな」とも書いてないけど非常識)みたいなのと一緒では興がそがれる。
まずは玄関脇の小部屋からご案内開始。ガイドさんによると、こちらの玄関は我々ごとき下々の輩が出入りできるところではなかったらしい。ここをくぐって良いのは天皇のお使いとか、皇族&華族、政府の高官といった方々のみ。なるほど、確かに皇族、華族、士族、平民なんて言ってた時代だものなぁと納得。
西園寺公は竹好きであったらしく、あちこちに意匠をこらして竹を使ってる。窓につけられた格子から、各室を仕切る欄間、網代天井の竿縁はもちろん、ふすまの模様に竹の皮を貼り付けてたり、珍しいのはふすまの縁まで竹を用いている箇所まである。もちろん、床の寄木細工等も凝りに凝ったものばかりで、場所によって模様まで違う。一見地味ではあるが、手間とお金がかかってるのだ。
ちなみに、私は予め本で読んでて知ってたのだが竹の格子の中には鉄棒が仕込まれていたという。これは移築に際し解体してみて初めて判明したのだが、今回ガイドさんの説明により新たなセキュリティシステムが判明した。書生部屋の押入れの奥に隠し扉があり、そこを抜けて女中部屋に行き畳を上げると外への脱出口があるとか、風呂にまで脱出口を設けてあるとか・・・。重要人物だから当然警備はついていたろうに、なおこれだ。「そういえば、2.26事件の時はこの人も標的に入ってたんだよねぇ」と旦那がつぶやいてたが、ほんと物騒な時代だったのだ。
本に載っていた洋風の応接間も実物を見ることができて大満足。なんと、サンルームまである。三面ガラス窓で、当時のものにしては歪みが少ない。昔のガラスは外の風景が歪んで見えるものなのだが。
「これ、歪みが少ないですね。あの当時のガラスですか?」
と尋ねると、
「はい、輸入品だそうですよ」
・・・うっわー、舶来品かよぉ。さすがは元老様だ。
二階に上がると、二間続きのお座敷があり窓からは入鹿池が見える。
「本来は興津の海が見渡せたんですが、せめてその雰囲気だけでも再現をということでこの場所が選ばれました。下をご覧ください。お庭の樹木も残らず移してあるんですよ」
・・・いい仕事してるわぁと感動していたら、ガイドさんが続けて曰く、
「ここには、この建物の中で一番お金と手間がかかってるものがあるんですよ。この欄間です」
説明聞くのと見るのに夢中になってて内部の写真撮るのをすっかり忘れていたので、文章だけで想像してほしい。見た目は細い板二枚を横平行に並べた何の変哲もない欄間だ。しかも、近くに寄ってよくよく見ると、板と板の間の空間がまっすぐに切られてない。微妙に歪んでいる。何でこんなのに一番金がかかってるんだぁ?よっぽど珍しい材木なのか??
「これはですね、一本の丸太の中心部分に竹を丸ごと少しずつ埋め込んでるんです。5年くらいかかってるそうですよ。そして完全に埋め込んだ後、中心部だけを切り出して欄間にしたんです。」
なるほど!間の空間は、竹の形になってるというわけだ。そういえば、竹の節かなぁと思しき痕跡もある。金かかってるのにそうとは見えないこの渋さ。これこそが日本的美学ってものかもしれない。
再び、一階に降りてお勝手口に案内される。とはいっても、我々庶民の感覚からすれば立派に玄関として通用するんだが。ちょっとわかりにくいけど、下の写真がちょうどそちら側になる。

ガイドさんにお礼を言って、坐漁荘を出た。
ここで、旦那が「どうする?まだ見るか?」と聞いてきた。残るは四丁目と五丁目なのだが、これがまた地図で見る限り一丁目~三丁目までをあわせたよりもだだっ広い。時刻は午後二時近く。もはや体力も気力も限界である。それにどうせならゆっくり見たい。次の機会にしようよと名古屋市内に戻り、栄の広大な地下街でお茶でも飲もうということに。
最後に正門近くで記念撮影↓↓↓

夕食は伯母様のお招きで、ひつまぶしを食べた。なんと、うまき(うなぎを巻いた玉子焼き)と肝吸いまで頼んでくださったので大いに堪能。帰り際、旦那がぼそっとつぶやいた。
「俺、名古屋に来て初めてひつまぶし食ったよ。高くて手が出ないんだもん」
ああ、つつましい生活してるのねぇ。確かにうちには、金食い虫が一名いるからなぁ。旦那への仕送りもぎりぎりにならざるを得ない。
帰宅のため地下鉄に乗る。旦那は途中で自宅に戻るため下車。別れ際に旦那が伯母様に帽子を脱いで挨拶する。「今日は伯母さんちに泊まるから、パパにさよならって言いなさい」と長男を促すと、彼はなんと父親に向かって帽子を脱いでお辞儀をした。多分、お父さんがそうしてるんだから自分もそうしなきゃならないと思ったのだろう。照れくさそうに笑いながら、旦那は降りて行った。
デジャブ・薬学レポート絡み [薬剤師のつぶやき]
昨晩10時半頃、塾から帰宅した次男いわく。
次男「あのね、友達のS君が明日○○大学薬学部の推薦入試なんだけど」
私 「うん、それで?」
次男「面接でのお題があってあらかじめ調べて臨むんだ。ところが、どうもあちこち調べてみたけど自信がないってんで、母者に聞いてみて今晩中にメール欲しいと言ってる」
私 「明日だとぉ?!そんなお題は早めに出てるもんだろ?もっと時間のあるうちに言ってくれれば、参考になりそうな本もあったものを・・・」
次男「まあそうなんだけど・・・頼ってきたものをむげには出来ないでしょ。何とかなる?」
私 「ざっとでよければな。調べてる時間なんかねーぞ」
次男「おお、さすがは“やぶざいし(最近、息子は私をこう呼んでいる)”。腐っても鯛だねぇ(^ ^)」
・・・なんか聞き捨てならない称号と言い回しが合計二個も発せられたような気がするけど。時間がないから、粛正は後刻。猛然とキーを打つ間、ふと蘇る大学時代の記憶。
仲良しで近くの学生用アパートに住んでるYチゃんから電話があったのは三年生の秋も終わり頃。時刻は奇しくも今回とほぼ同じ。明日は薬剤学実習レポートの締め切り日で、お題は“処方箋の解析”・・・つまり実物に近い処方箋のサンプルを渡され、それがなんの薬であるか。服用する患者の病気は何かを推測しろというもの。厄介なことに一人一人処方内容が違うので、学友のを丸写しするわけにもいかない。
Y 「あのね、出てる薬はMMと酸化鉄なの」
私 「MMって何それ?」
Y 「うん、私もわからないから薬局方の索引でそれらしいの探したんだ。それでマレイン酸メチルエルゴメトリンじゃないかと」
私 「ああ、麦角アルカロイドね。確かに略したらMMだわな。子宮収縮剤だっけ?」
Y 「そそ。それで酸化鉄は貧血の患者に飲ませたりするから、産後の肥立ちが悪くてなかなか出血が止まらず貧血気味だということで夕方からレポート書いてたの」
私 「うん、立派に筋通るじゃん」
Y 「それがさ、さっきN君(Yちゃんの彼氏。同じ大学の医学部。今は旦那さん)が遊びに来て私の書いてるとこ見てたんだけど・・・」
私 「(お熱くて結構なこって・・・などと若干ひがみつつ)なんか間違ってるって?」
Y 「処方箋の生年月日と性別のとこ指差してさ、これ中年のおっさんだぞって」
私 「あっちゃー、そりゃ何間違ってもお産なんかしないわなぁ」
Y 「ねえ、夜遅くになんだけどお父さんに聞いてもらえないかなぁ。でももう寝てる頃?」
私 「あー、多分大丈夫。元々そんなに早く寝る人じゃないし。ちょっと待ってて」
一旦Yちゃんからの電話を切り単身赴任先の宮崎へ恐る恐る電話をかけてみたら、妙にハイテンションな父の第一声。
父 「おー、どーした。久しぶりだなぁ。ちょうど良かった。今飲み会から帰ったところだよ」
酔っ払ってても薬剤師だから何とかなるだろうと、Yちゃんの話をかいつまんで伝えたところ、
父 「あはははは。それ、マレイン酸メチルエルゴメトリンじゃないよ。マーゲン・ミッテルの略」
私 「ま、まーげん・みってる???」
父 「ドイツ語だよ。マーゲンは胃、ミッテルは物質だったかなぁ。とにかく胃薬って意味だな」
私 「とするとこの処方箋、どう読む?」
父 「簡単だよ。酸化鉄って事は粉の状態だろ。あれは一気に飲むと胃を荒らしやすいから、胃薬一緒につけときますねって事」
私 「つまり、中年おっさんの貧血か」
父 「そうそう。まあ、今は徐放性錠剤が出てるから、酸化鉄なんてちょっと古くさい処方だね。にしても、担当の先生意地悪だなぁ。MMって医療現場じゃよく使う略語だし、今いる病院にもMM1とかMM2とか4種類くらい約束処方があるけど、学生がわかるわけないだろ」
私 「そっかぁ。助かったよ、ありがとねぇ」
Yちゃんに以上の内容を伝達したところ、涙こぼさんばかりに感謝されたのは言うまでもない。なお、私はどんなサンプル処方箋を渡されたやら全く覚えていない。なのに、Yちゃんのは30年近くたった今でも鮮明に記憶している。ちなみに、レポートは二人とも合格だった。
感慨にふけりつつ、キーを打ち続けること1時間弱。完成したものを次男に見せたところ、
次男「あー、大丈夫かなぁ」
私 「何がだよ」
次男「S君の読解力でこれ理解できるかなぁ・・・と」
私 「絵本でも書けってか?この程度のもの理解できないような奴に薬剤師になられては困る!」
次男「そんなにべもないこと言わないでよぉ」
私 「まさかとは思うが、おまえまでわからんなどと言うのではあるまいな???」
次男「いやいや、俺は大丈夫だけど」
というわけで、無事メール送信してミッション完了。せっかく1時間もかけて書いたんで、興味がおありの方は読んでみて下さい。かなり荒削りで、思いつくままに書いてますけど・・・
次男「あのね、友達のS君が明日○○大学薬学部の推薦入試なんだけど」
私 「うん、それで?」
次男「面接でのお題があってあらかじめ調べて臨むんだ。ところが、どうもあちこち調べてみたけど自信がないってんで、母者に聞いてみて今晩中にメール欲しいと言ってる」
私 「明日だとぉ?!そんなお題は早めに出てるもんだろ?もっと時間のあるうちに言ってくれれば、参考になりそうな本もあったものを・・・」
次男「まあそうなんだけど・・・頼ってきたものをむげには出来ないでしょ。何とかなる?」
私 「ざっとでよければな。調べてる時間なんかねーぞ」
次男「おお、さすがは“やぶざいし(最近、息子は私をこう呼んでいる)”。腐っても鯛だねぇ(^ ^)」
・・・なんか聞き捨てならない称号と言い回しが合計二個も発せられたような気がするけど。時間がないから、粛正は後刻。猛然とキーを打つ間、ふと蘇る大学時代の記憶。
仲良しで近くの学生用アパートに住んでるYチゃんから電話があったのは三年生の秋も終わり頃。時刻は奇しくも今回とほぼ同じ。明日は薬剤学実習レポートの締め切り日で、お題は“処方箋の解析”・・・つまり実物に近い処方箋のサンプルを渡され、それがなんの薬であるか。服用する患者の病気は何かを推測しろというもの。厄介なことに一人一人処方内容が違うので、学友のを丸写しするわけにもいかない。
Y 「あのね、出てる薬はMMと酸化鉄なの」
私 「MMって何それ?」
Y 「うん、私もわからないから薬局方の索引でそれらしいの探したんだ。それでマレイン酸メチルエルゴメトリンじゃないかと」
私 「ああ、麦角アルカロイドね。確かに略したらMMだわな。子宮収縮剤だっけ?」
Y 「そそ。それで酸化鉄は貧血の患者に飲ませたりするから、産後の肥立ちが悪くてなかなか出血が止まらず貧血気味だということで夕方からレポート書いてたの」
私 「うん、立派に筋通るじゃん」
Y 「それがさ、さっきN君(Yちゃんの彼氏。同じ大学の医学部。今は旦那さん)が遊びに来て私の書いてるとこ見てたんだけど・・・」
私 「(お熱くて結構なこって・・・などと若干ひがみつつ)なんか間違ってるって?」
Y 「処方箋の生年月日と性別のとこ指差してさ、これ中年のおっさんだぞって」
私 「あっちゃー、そりゃ何間違ってもお産なんかしないわなぁ」
Y 「ねえ、夜遅くになんだけどお父さんに聞いてもらえないかなぁ。でももう寝てる頃?」
私 「あー、多分大丈夫。元々そんなに早く寝る人じゃないし。ちょっと待ってて」
一旦Yちゃんからの電話を切り単身赴任先の宮崎へ恐る恐る電話をかけてみたら、妙にハイテンションな父の第一声。
父 「おー、どーした。久しぶりだなぁ。ちょうど良かった。今飲み会から帰ったところだよ」
酔っ払ってても薬剤師だから何とかなるだろうと、Yちゃんの話をかいつまんで伝えたところ、
父 「あはははは。それ、マレイン酸メチルエルゴメトリンじゃないよ。マーゲン・ミッテルの略」
私 「ま、まーげん・みってる???」
父 「ドイツ語だよ。マーゲンは胃、ミッテルは物質だったかなぁ。とにかく胃薬って意味だな」
私 「とするとこの処方箋、どう読む?」
父 「簡単だよ。酸化鉄って事は粉の状態だろ。あれは一気に飲むと胃を荒らしやすいから、胃薬一緒につけときますねって事」
私 「つまり、中年おっさんの貧血か」
父 「そうそう。まあ、今は徐放性錠剤が出てるから、酸化鉄なんてちょっと古くさい処方だね。にしても、担当の先生意地悪だなぁ。MMって医療現場じゃよく使う略語だし、今いる病院にもMM1とかMM2とか4種類くらい約束処方があるけど、学生がわかるわけないだろ」
私 「そっかぁ。助かったよ、ありがとねぇ」
Yちゃんに以上の内容を伝達したところ、涙こぼさんばかりに感謝されたのは言うまでもない。なお、私はどんなサンプル処方箋を渡されたやら全く覚えていない。なのに、Yちゃんのは30年近くたった今でも鮮明に記憶している。ちなみに、レポートは二人とも合格だった。
感慨にふけりつつ、キーを打ち続けること1時間弱。完成したものを次男に見せたところ、
次男「あー、大丈夫かなぁ」
私 「何がだよ」
次男「S君の読解力でこれ理解できるかなぁ・・・と」
私 「絵本でも書けってか?この程度のもの理解できないような奴に薬剤師になられては困る!」
次男「そんなにべもないこと言わないでよぉ」
私 「まさかとは思うが、おまえまでわからんなどと言うのではあるまいな???」
次男「いやいや、俺は大丈夫だけど」
というわけで、無事メール送信してミッション完了。せっかく1時間もかけて書いたんで、興味がおありの方は読んでみて下さい。かなり荒削りで、思いつくままに書いてますけど・・・
名古屋旅行2日目・その2 [日記]
前日就寝前、旦那が調べてくれた乗り換え情報を確認する。
「ええっと・・・7時46分におばさんちの最寄り駅から地下鉄に乗り、途中の駅で合流。その後、別の路線に乗り換え、更に名鉄乗り継ぎで犬山に着くまでが約1時間。そこから更に、明治村行きのバスで約20分。思ったよりかかるんだなぁ」
そんなにかかったっけ、前回???? もはや記憶があやふやなんだけど、従姉が車で連れてってくれたので、多分私は寝てたんだと思う。今回は運転手(旦那ともいう)はいるが、車はない。レンタカーを借りても良かったけど、鉄道大好きな長男のために敢えてこのルートを選んだという次第。
案の定、この日地下鉄全路線制覇を成し遂げ、更に憧れの名鉄にまで乗れて彼は上機嫌。そうだよなぁ・・・保育園の頃から新幹線で名古屋付近を通過するたびに「名鉄、名鉄!」とか叫んでたもん。
私 「ねえ、あれ本当に名鉄?」
旦那「俺が知るかよ。あいつが言うんだから間違いねーだろ」
という会話が何度飛び交ったことか。
ようやっと犬山駅到着。ここでバスに乗り換え、明治村へ。だが、盛り上がる期待とは裏腹に一抹の不安がよぎる。
「果たして、長男は楽しめるか?」
そうなのだ。私も旦那も、大学受験時の社会科は日本史と世界史で受験したので、そこそこ歴史には詳しい。そういう人種にとって明治村はパラダイスだ。本物の歴史的建築物をバランス良く配置し、普段は中に入れないような建物でもガイドが付いていれば隅々まで見学可能。「あの有名人ゆかりの・・・」と思えば感慨もひとしおというもの。でも、長男が好きなのは鉄道と特撮ヒーローものとアニメくらい。鉄道関連ならいくつかあるけど、そのうち京都市電とSLは老朽化のため去年の12月から運休して点検・修理に出されている。せめてあれが走っててくれれば盛り上がるんだが・・・
などと危惧しつつ、まずは入り口近くで敷地の一番端っこにある“聖ヨハネ教会堂”へ向かう。と、建物が視界に入った途端、ダッシュする長男↓↓↓

ん? 素朴ながらなかなか味わいのある教会だけど、彼の萌えポイントに教会なんかあったかぁ? といぶかりつつ中へ。二階建になってて、一階は幼稚園だったとのこと。長男はなにやらきょろきょろと見渡し、二階の礼拝堂へと向かう。
古色蒼然たる礼拝堂のどこかにプレーヤーでも仕込んであるのか、響き渡るパイプオルガンのBGMがいかにもここが教会であるという雰囲気を醸し出す。しばらく聴き入ってた長男は、パァっと満面の笑みを浮かべて言った。
「クラリスの結婚式!」
ああ、なるほどね。あいつが繰り返し鑑賞してるあれだわ↓↓↓
今ひとつ状況が飲み込めないでいる父親に説明してあげると、「そういや好きだったねぇ。でもこれ、あの曲?」と逆質問。いやそんなこと言われても私にはわからない。エレクトーンの曲集にはあまりバロック音楽って入ってなかったんだもん。そうでなくても、あの時代の音楽って単調というかリズムバリエーションが乏しいというか・・・区別がつきにくい。集中して何曲か弾き込んでいればまだしもなのだが。ちなみに、帰宅後調べてみたら「カリオストロの城」で使われてたのはバッハの「パストラーレ ヘ長調 BWV590」~第3楽章だそうだ。でもこれだったかなぁ・・・しばし考えて結局旦那と同じ台詞をつぶやく私。
「あいつが言うんだから間違いねーだろ」
そこからしばらく西郷従道邸を経て森鴎外・夏目漱石住宅へ。この家は、奇しくも近代日本の二大文豪たる森鴎外と夏目漱石が13年の時を隔てて借家住まいをしたものだ。鴎外はここに移り住む直前に「舞姫」を執筆し、漱石はここで「吾輩は猫である」を書き上げた。作中に描写される住まいの様子は、ほとんどこの住宅のものであるという。それ故か、書斎には猫の置物が鎮座していた↓↓↓

実際、この家で漱石は猫を飼ってたそうだ。
ここで正門(これも実は第八高等学校の正門を移築したもの)付近に戻り、大井牛肉店、三重県尋常師範学校・蔵持小学校、近衛局本部附属舎から鉄道局新橋工場&明治天皇・昭憲皇太后御料車、三重県庁舎、二重橋飾電燈などざっと見て回る。以上で一丁目終了。二丁目に入る。
二丁目のメインストリートはレンガ通りと名づけられており、左手側の千早赤阪小学校講堂&第四高等学校物理化学教室から見る事に。ここで早くも時計は十一時。入村二時間にして全員ペットボトル(500ml)二本目購入。暑い。飲んでも飲んでも汗になって流れていく様な感じ。とにかく冷房のきいた室内に座りたいってことで、レンガどおりの突き当たりにある東山梨郡役所まで行ったら、その奥の明治村食堂で休憩&昼食にしようということに。
小学校の講堂にしろ、高等学校の物理化学教室にしろ、学校の施設というのは似たり寄ったりだ。今の子供たちは木造校舎なんてほとんど経験ないだろうが、私たちの子供の頃はちょうど鉄筋コンクリート校舎への過渡期で、地方の学校だとごろごろ残ってた。
私 「ああ、この感じ。親父の大学時代の写真に写ってたのとそっくり」
旦那「そうだろうねぇ。教室の規格って法律で決まってるからそんなに大差ないだろ」
なお、この校舎は明治村そのものと深い縁がある。東大の教授であった建築家・谷口吉郎氏と名鉄会長・土川元夫氏は、共に第四高等学校の出身で同級生だった。谷口氏は、電車の窓から鹿鳴館が解体されるところを目撃して深く嘆き、「建築史的にも歴史的にも貴重な明治時代の建築物を何とか保存してほしいが都市開発の進む地域では不可能だろう。どこか一ヶ所に移築して野外博物館みたいにしてはどうだろう?」云々と土川氏に相談したところから明治村が誕生したという。莫大な初期投資と手間を要するこの事業、持ちかける相手を間違えなかった谷口氏(後に、明治村初代館長となる)も偉いが、「よっしゃ!」と話に乗った土川氏もすごい。文化的事業と観光開発を一緒にやってるんだもの。
土川元夫氏の顕彰室を見学して次に行こうとしてふと見たら長男がいない。階段教室の入り口でなにやらうれしそうにぶつぶつ言っている。近づいて「どうしたの?」と聞くと、またも満面の笑顔で「インディ・ジョーンズ!」
第二の萌えポイント発見!そういや、インディは考古学者で大学の講義室で授業してるシーンもある。急勾配の階段状座席など、映画に出てきたのとそっくりだ。初代ジェームズ・ボンドのショーン・コネリーのことも「インディのお父さん」と覚えてるくらい大好きな映画で繰り返し鑑賞している。せっかくだからと黒板の前に立たせ、インディ教授もどきにポーズをとらせてパチリ↓↓↓

時計を見ると、十一時半。いい頃合だと明治村食堂へ。暑さゆえガブガブとスポーツ飲料だのお茶だの飲んでいた私たち夫婦はあまり空腹感がなくて、姫路駅折り詰め弁当(明治二十二年新発売)を再現したものを頼んだ。↓↓↓

が、長男は同じくらい飲みまくっていたにもかかわらず、でっかい海老ふりゃーが三つも乗っかってるランチを注文。若いってすごいねぇ。
長くなりましたので今回はここまで。
「ええっと・・・7時46分におばさんちの最寄り駅から地下鉄に乗り、途中の駅で合流。その後、別の路線に乗り換え、更に名鉄乗り継ぎで犬山に着くまでが約1時間。そこから更に、明治村行きのバスで約20分。思ったよりかかるんだなぁ」
そんなにかかったっけ、前回???? もはや記憶があやふやなんだけど、従姉が車で連れてってくれたので、多分私は寝てたんだと思う。今回は運転手(旦那ともいう)はいるが、車はない。レンタカーを借りても良かったけど、鉄道大好きな長男のために敢えてこのルートを選んだという次第。
案の定、この日地下鉄全路線制覇を成し遂げ、更に憧れの名鉄にまで乗れて彼は上機嫌。そうだよなぁ・・・保育園の頃から新幹線で名古屋付近を通過するたびに「名鉄、名鉄!」とか叫んでたもん。
私 「ねえ、あれ本当に名鉄?」
旦那「俺が知るかよ。あいつが言うんだから間違いねーだろ」
という会話が何度飛び交ったことか。
ようやっと犬山駅到着。ここでバスに乗り換え、明治村へ。だが、盛り上がる期待とは裏腹に一抹の不安がよぎる。
「果たして、長男は楽しめるか?」
そうなのだ。私も旦那も、大学受験時の社会科は日本史と世界史で受験したので、そこそこ歴史には詳しい。そういう人種にとって明治村はパラダイスだ。本物の歴史的建築物をバランス良く配置し、普段は中に入れないような建物でもガイドが付いていれば隅々まで見学可能。「あの有名人ゆかりの・・・」と思えば感慨もひとしおというもの。でも、長男が好きなのは鉄道と特撮ヒーローものとアニメくらい。鉄道関連ならいくつかあるけど、そのうち京都市電とSLは老朽化のため去年の12月から運休して点検・修理に出されている。せめてあれが走っててくれれば盛り上がるんだが・・・
などと危惧しつつ、まずは入り口近くで敷地の一番端っこにある“聖ヨハネ教会堂”へ向かう。と、建物が視界に入った途端、ダッシュする長男↓↓↓

ん? 素朴ながらなかなか味わいのある教会だけど、彼の萌えポイントに教会なんかあったかぁ? といぶかりつつ中へ。二階建になってて、一階は幼稚園だったとのこと。長男はなにやらきょろきょろと見渡し、二階の礼拝堂へと向かう。
古色蒼然たる礼拝堂のどこかにプレーヤーでも仕込んであるのか、響き渡るパイプオルガンのBGMがいかにもここが教会であるという雰囲気を醸し出す。しばらく聴き入ってた長男は、パァっと満面の笑みを浮かべて言った。
「クラリスの結婚式!」
ああ、なるほどね。あいつが繰り返し鑑賞してるあれだわ↓↓↓
今ひとつ状況が飲み込めないでいる父親に説明してあげると、「そういや好きだったねぇ。でもこれ、あの曲?」と逆質問。いやそんなこと言われても私にはわからない。エレクトーンの曲集にはあまりバロック音楽って入ってなかったんだもん。そうでなくても、あの時代の音楽って単調というかリズムバリエーションが乏しいというか・・・区別がつきにくい。集中して何曲か弾き込んでいればまだしもなのだが。ちなみに、帰宅後調べてみたら「カリオストロの城」で使われてたのはバッハの「パストラーレ ヘ長調 BWV590」~第3楽章だそうだ。でもこれだったかなぁ・・・しばし考えて結局旦那と同じ台詞をつぶやく私。
「あいつが言うんだから間違いねーだろ」
そこからしばらく西郷従道邸を経て森鴎外・夏目漱石住宅へ。この家は、奇しくも近代日本の二大文豪たる森鴎外と夏目漱石が13年の時を隔てて借家住まいをしたものだ。鴎外はここに移り住む直前に「舞姫」を執筆し、漱石はここで「吾輩は猫である」を書き上げた。作中に描写される住まいの様子は、ほとんどこの住宅のものであるという。それ故か、書斎には猫の置物が鎮座していた↓↓↓

実際、この家で漱石は猫を飼ってたそうだ。
ここで正門(これも実は第八高等学校の正門を移築したもの)付近に戻り、大井牛肉店、三重県尋常師範学校・蔵持小学校、近衛局本部附属舎から鉄道局新橋工場&明治天皇・昭憲皇太后御料車、三重県庁舎、二重橋飾電燈などざっと見て回る。以上で一丁目終了。二丁目に入る。
二丁目のメインストリートはレンガ通りと名づけられており、左手側の千早赤阪小学校講堂&第四高等学校物理化学教室から見る事に。ここで早くも時計は十一時。入村二時間にして全員ペットボトル(500ml)二本目購入。暑い。飲んでも飲んでも汗になって流れていく様な感じ。とにかく冷房のきいた室内に座りたいってことで、レンガどおりの突き当たりにある東山梨郡役所まで行ったら、その奥の明治村食堂で休憩&昼食にしようということに。
小学校の講堂にしろ、高等学校の物理化学教室にしろ、学校の施設というのは似たり寄ったりだ。今の子供たちは木造校舎なんてほとんど経験ないだろうが、私たちの子供の頃はちょうど鉄筋コンクリート校舎への過渡期で、地方の学校だとごろごろ残ってた。
私 「ああ、この感じ。親父の大学時代の写真に写ってたのとそっくり」
旦那「そうだろうねぇ。教室の規格って法律で決まってるからそんなに大差ないだろ」
なお、この校舎は明治村そのものと深い縁がある。東大の教授であった建築家・谷口吉郎氏と名鉄会長・土川元夫氏は、共に第四高等学校の出身で同級生だった。谷口氏は、電車の窓から鹿鳴館が解体されるところを目撃して深く嘆き、「建築史的にも歴史的にも貴重な明治時代の建築物を何とか保存してほしいが都市開発の進む地域では不可能だろう。どこか一ヶ所に移築して野外博物館みたいにしてはどうだろう?」云々と土川氏に相談したところから明治村が誕生したという。莫大な初期投資と手間を要するこの事業、持ちかける相手を間違えなかった谷口氏(後に、明治村初代館長となる)も偉いが、「よっしゃ!」と話に乗った土川氏もすごい。文化的事業と観光開発を一緒にやってるんだもの。
土川元夫氏の顕彰室を見学して次に行こうとしてふと見たら長男がいない。階段教室の入り口でなにやらうれしそうにぶつぶつ言っている。近づいて「どうしたの?」と聞くと、またも満面の笑顔で「インディ・ジョーンズ!」
第二の萌えポイント発見!そういや、インディは考古学者で大学の講義室で授業してるシーンもある。急勾配の階段状座席など、映画に出てきたのとそっくりだ。初代ジェームズ・ボンドのショーン・コネリーのことも「インディのお父さん」と覚えてるくらい大好きな映画で繰り返し鑑賞している。せっかくだからと黒板の前に立たせ、インディ教授もどきにポーズをとらせてパチリ↓↓↓

時計を見ると、十一時半。いい頃合だと明治村食堂へ。暑さゆえガブガブとスポーツ飲料だのお茶だの飲んでいた私たち夫婦はあまり空腹感がなくて、姫路駅折り詰め弁当(明治二十二年新発売)を再現したものを頼んだ。↓↓↓

が、長男は同じくらい飲みまくっていたにもかかわらず、でっかい海老ふりゃーが三つも乗っかってるランチを注文。若いってすごいねぇ。
長くなりましたので今回はここまで。
ナニを○○するサプリ [薬剤師のつぶやき]
えー、名古屋旅行の件なんですが・・・書いてます、一応。でも長いのでなかなか気力が続きません。なので、例によって小ネタを一つ。
この頃食後の短時間ウォーキングに出ると、そのうち二回くらいは買い物になる。歩きなので、大量の荷物は持てないからだ。よく行くのはスギ薬局とTUTAYAの書籍売り場。前者は日用消耗品&食品なのだが、ここで妙な商品名を発見。
「再起動」
ドラッグストアで再起動? ここでパソコン関連ていったら、せいぜいDVD-RとかCD-R、メモリカード、USBメモリ、コンセント差込口拡張機器くらいだし、それらとは明らかに売り場が違う。なんだろうと思って近寄り、商品上部に掲げられたイラストを確認して「ああ、なるほどね」と納得。それにしてもなかなか斬新な商品名だ。
「再起動」に関する詳細情報はこちら
夜帰宅した次男に早速報告。
私 「あのね、スギ薬局で“再起動”って商品があったのよ!」
次男「ブーン? (パソコン再起同音の口真似)」
私 「おまえ、“スギ薬局”ってとこ聞き逃してるやろ。そこや、そこ。再起動するのは」
と、股間を指差すと彼も理解したようだ。
次男「それ、結構高いんだろうねぇ・・・」
私 「うん、一回分1カプセルで2980円。3カプセルで8800円。」
次男「うっわー!」
私 「それでな、ちょっと替え歌が浮かんだんだけど」
次男「どんなの?」
私 「(若者たちという歌の節で) 君は~やる~の~か~~ そんな~にして~まで~~」
ここで絶対笑いが取れると思ってたのにふっと彼は暗い目をしてつぶやいた。
「そない言うなよ。みんな悩んでるのに・・・」
な、なにがあったの息子よ・・・??
この頃食後の短時間ウォーキングに出ると、そのうち二回くらいは買い物になる。歩きなので、大量の荷物は持てないからだ。よく行くのはスギ薬局とTUTAYAの書籍売り場。前者は日用消耗品&食品なのだが、ここで妙な商品名を発見。
「再起動」
ドラッグストアで再起動? ここでパソコン関連ていったら、せいぜいDVD-RとかCD-R、メモリカード、USBメモリ、コンセント差込口拡張機器くらいだし、それらとは明らかに売り場が違う。なんだろうと思って近寄り、商品上部に掲げられたイラストを確認して「ああ、なるほどね」と納得。それにしてもなかなか斬新な商品名だ。
「再起動」に関する詳細情報はこちら
夜帰宅した次男に早速報告。
私 「あのね、スギ薬局で“再起動”って商品があったのよ!」
次男「ブーン? (パソコン再起同音の口真似)」
私 「おまえ、“スギ薬局”ってとこ聞き逃してるやろ。そこや、そこ。再起動するのは」
と、股間を指差すと彼も理解したようだ。
次男「それ、結構高いんだろうねぇ・・・」
私 「うん、一回分1カプセルで2980円。3カプセルで8800円。」
次男「うっわー!」
私 「それでな、ちょっと替え歌が浮かんだんだけど」
次男「どんなの?」
私 「(若者たちという歌の節で) 君は~やる~の~か~~ そんな~にして~まで~~」
ここで絶対笑いが取れると思ってたのにふっと彼は暗い目をしてつぶやいた。
「そない言うなよ。みんな悩んでるのに・・・」
な、なにがあったの息子よ・・・??
名古屋旅行2日目・その1 [日記]
1日目の夕食時、全12ページにも及ぶ資料を渡しながら旦那が言った。
「あのさ、本当に明治村に行くの? だってほら、あんた暑いの苦手でしょ」
確かに、私は暑い時期が苦手だ。夏生まれの癖に、青菜に塩状態。エアコンフル稼働の室内でだらだら過ごすのが一番好き。東電の節電努力呼びかけなどどこ吹く風。どうせ奴らは嘘つきだ。原発がいかれてるから、電力不足だって? 馬鹿も休み休み言え。マスコミまで尻馬に乗っかって“節電に取り組む一般家庭&企業”なんて白々しいことを垂れ流す一方で、各地で確実に起きていたはずの火力&水力発電の被災状況なんかほとんど報道されてない。震災が金曜日で、翌々日の日曜日から月曜日の深夜時間帯にいきなり計画節電なんてお馬鹿な事を言い出して月曜日の始発から電車を止めやがったのは、「原発が止まったからこーなったんですよぉ」というデモンストレーション+火力&水力発電所復旧までの時間稼ぎだったんだと私は確信している。まあ、義務化されちゃった大口使用者は罰金絡んでるからやらざるを得ないんだけどね。
そんな私が、決して安くもない新幹線代を払ってまでくそ暑い中名古屋に行く動機は、一にも二にも明治村だった。小学生高学年で訪れた際、すでに結構な歴史好きだった私は
「へー、これが西郷従道(西郷隆盛の弟。海軍の大立者)の邸かぁ。お、こっちには明治天皇&昭憲皇太后御料車がある。すっげー。本物だよぉ」とはしゃぎまくっていた。以来、規模を拡張し続けているという明治村にぜひまた行きたいと長年思ってたのである。
今回のお目当ては、西園寺公望別邸「坐漁荘」。静岡県庵原郡興津町(現・静岡県静岡市清水区)に公望自ら意匠を凝らして建てたという。日本の近・現代史に詳しい人なら、十中八九“興津詣で”という言い回しをご存じのはずだ。都内の本邸から興津に移り住んだのは70過ぎてからのことで、既に娘婿もいることだし隠居しても良い年齢だが、そうはいかなかった。何故なら彼は大正天皇即位時に元老となっているからだ。同じ年(1912年=大正元年)に元老となったのが桂太郎と大山巌で、当時は明治時代に任命された山県有朋、井上馨、松方正義も存命中だった。しかし、桂太郎は翌年に死去。大正四年には井上が、その翌年には大山が死去。更に大正十一年に山県が亡くなり、同十三年に松方正義が亡くなると、西園寺は唯一にして“最後の元老”となる。
え、元老って何かって? それ説明してるととんでもなく長くなるので、詳細は下記参照。
元老の説明 by Wikipedia
要するに、天皇の相談役みたいなものだと考えるとわかりやすい。特に、総理大臣の交代時が最大の出番。天皇の使者やら政府高官やらマスコミがせっせと通う。これが“興津詣で”・・・大正末期から昭和初期にかけての歴史書を読んでると頻繁に登場する。西園寺は、昭和十五年にこの別邸で亡くなっている。だがその後、坐漁荘がどうなったかは下記の書籍を読むまで知らなかった。

な、なんと、明治村に移築されてる! しかも、私が前回訪れた時には既にあったのだ!! なんつー失態、いや凡くらミス!!! 何をどう考えても、これを見学した記憶が無い。確実にスルーパスしてるぞ、おい(^。^;)
でもまー、しょうがないかも。近衛文麿は知ってたけどさ、彼を首相に推挙した西園寺公望という存在にまで言及&議論してる歴史書まで読んだのはせいぜい高校時代から。その上、歴史好きになった理由の一つが“バロック・ロココ時代の華麗なドレスを身につけ、宝石がっつり飾った貴婦人の肖像画をたくさんみたい!!”だったもんで、どうも絶対王朝時代のヨーロッパものに偏ってて、自然と洋館の方に目が行ってしまったようだ。坐漁荘なんて、外観が“詫び・寂・数寄屋趣味ばりばりで、一見地味だけど実は金かかってますぅ”的なしろもの。夢見がちな小六少女がこれ見て感動してたら、その方がよほど変だろう。
さて、これからいよいよ電車乗り継いで明治村に向かいますが、長くなりますので次回に回します。(つーか、いい加減更新してないもんで)
「あのさ、本当に明治村に行くの? だってほら、あんた暑いの苦手でしょ」
確かに、私は暑い時期が苦手だ。夏生まれの癖に、青菜に塩状態。エアコンフル稼働の室内でだらだら過ごすのが一番好き。東電の節電努力呼びかけなどどこ吹く風。どうせ奴らは嘘つきだ。原発がいかれてるから、電力不足だって? 馬鹿も休み休み言え。マスコミまで尻馬に乗っかって“節電に取り組む一般家庭&企業”なんて白々しいことを垂れ流す一方で、各地で確実に起きていたはずの火力&水力発電の被災状況なんかほとんど報道されてない。震災が金曜日で、翌々日の日曜日から月曜日の深夜時間帯にいきなり計画節電なんてお馬鹿な事を言い出して月曜日の始発から電車を止めやがったのは、「原発が止まったからこーなったんですよぉ」というデモンストレーション+火力&水力発電所復旧までの時間稼ぎだったんだと私は確信している。まあ、義務化されちゃった大口使用者は罰金絡んでるからやらざるを得ないんだけどね。
そんな私が、決して安くもない新幹線代を払ってまでくそ暑い中名古屋に行く動機は、一にも二にも明治村だった。小学生高学年で訪れた際、すでに結構な歴史好きだった私は
「へー、これが西郷従道(西郷隆盛の弟。海軍の大立者)の邸かぁ。お、こっちには明治天皇&昭憲皇太后御料車がある。すっげー。本物だよぉ」とはしゃぎまくっていた。以来、規模を拡張し続けているという明治村にぜひまた行きたいと長年思ってたのである。
今回のお目当ては、西園寺公望別邸「坐漁荘」。静岡県庵原郡興津町(現・静岡県静岡市清水区)に公望自ら意匠を凝らして建てたという。日本の近・現代史に詳しい人なら、十中八九“興津詣で”という言い回しをご存じのはずだ。都内の本邸から興津に移り住んだのは70過ぎてからのことで、既に娘婿もいることだし隠居しても良い年齢だが、そうはいかなかった。何故なら彼は大正天皇即位時に元老となっているからだ。同じ年(1912年=大正元年)に元老となったのが桂太郎と大山巌で、当時は明治時代に任命された山県有朋、井上馨、松方正義も存命中だった。しかし、桂太郎は翌年に死去。大正四年には井上が、その翌年には大山が死去。更に大正十一年に山県が亡くなり、同十三年に松方正義が亡くなると、西園寺は唯一にして“最後の元老”となる。
え、元老って何かって? それ説明してるととんでもなく長くなるので、詳細は下記参照。
元老の説明 by Wikipedia
要するに、天皇の相談役みたいなものだと考えるとわかりやすい。特に、総理大臣の交代時が最大の出番。天皇の使者やら政府高官やらマスコミがせっせと通う。これが“興津詣で”・・・大正末期から昭和初期にかけての歴史書を読んでると頻繁に登場する。西園寺は、昭和十五年にこの別邸で亡くなっている。だがその後、坐漁荘がどうなったかは下記の書籍を読むまで知らなかった。

元勲・財閥の邸宅―伊藤博文、山縣有朋、西園寺公望、三井、岩崎、住友…の邸宅・別邸20 (JTBキャンブックス 文学歴史 26)
- 作者: 和田 久士
- 出版社/メーカー: ジェイティビィパブリッシング
- 発売日: 2007/02/02
- メディア: 単行本
な、なんと、明治村に移築されてる! しかも、私が前回訪れた時には既にあったのだ!! なんつー失態、いや凡くらミス!!! 何をどう考えても、これを見学した記憶が無い。確実にスルーパスしてるぞ、おい(^。^;)
でもまー、しょうがないかも。近衛文麿は知ってたけどさ、彼を首相に推挙した西園寺公望という存在にまで言及&議論してる歴史書まで読んだのはせいぜい高校時代から。その上、歴史好きになった理由の一つが“バロック・ロココ時代の華麗なドレスを身につけ、宝石がっつり飾った貴婦人の肖像画をたくさんみたい!!”だったもんで、どうも絶対王朝時代のヨーロッパものに偏ってて、自然と洋館の方に目が行ってしまったようだ。坐漁荘なんて、外観が“詫び・寂・数寄屋趣味ばりばりで、一見地味だけど実は金かかってますぅ”的なしろもの。夢見がちな小六少女がこれ見て感動してたら、その方がよほど変だろう。
さて、これからいよいよ電車乗り継いで明治村に向かいますが、長くなりますので次回に回します。(つーか、いい加減更新してないもんで)
小沢敗れたり [日記]
民主党代表選の結果が出る前に、誰が当選するかで次男と賭をした。私は野田氏に、次男は海江田氏に。掛け金は100円。結果は皆さんご存じの通り、私の勝ち。民主党の議員諸氏にも「小沢さんにしっぽ振ってるあいつに入れるくらいなら・・・」と考えた人が結構いたのでは?
投票前の演説を聴いていて、「ふーむ」と唸ったのは久しぶりだ。野田氏の言葉は誠実さと真剣さを感じさせるものだった。増税などという余り聞きたくない事柄も、必要とあればはっきり言う。そして、国民を納得させてこそ指導者というものだ。有権者の耳に快いことばかり言ってたら、国は破産する。
ところで前日のニュースでちらっと聞いたので、もしかして勘違いかもしれないが韓国の報道機関が「また“小沢の男”が当選しそうだ」と報じたらしい。ここんとこ、朝鮮語でどう表現してたのか非常に引っかかる。日本語で“○○の男(or 女)”なんて言ったら、普通は愛人とか恋人とかのことだ。小沢と海江田の絡み・・・ご本人達には悪いが想像するだに気持ち悪い。次男にそう言ったら、
「あんたの頭は腐ってる!」
と言い放たれてしまった。
投票前の演説を聴いていて、「ふーむ」と唸ったのは久しぶりだ。野田氏の言葉は誠実さと真剣さを感じさせるものだった。増税などという余り聞きたくない事柄も、必要とあればはっきり言う。そして、国民を納得させてこそ指導者というものだ。有権者の耳に快いことばかり言ってたら、国は破産する。
ところで前日のニュースでちらっと聞いたので、もしかして勘違いかもしれないが韓国の報道機関が「また“小沢の男”が当選しそうだ」と報じたらしい。ここんとこ、朝鮮語でどう表現してたのか非常に引っかかる。日本語で“○○の男(or 女)”なんて言ったら、普通は愛人とか恋人とかのことだ。小沢と海江田の絡み・・・ご本人達には悪いが想像するだに気持ち悪い。次男にそう言ったら、
「あんたの頭は腐ってる!」
と言い放たれてしまった。
名古屋旅行1日目 [日記]
朝早くからハイテンション状態の長男と家にいてもしょうがないので、少し早めに出ることにした。まあ別に指定席ではないので、そのあたりは融通がきく。ただ、最寄の路線は単線なのでどうしても本数に限りがある。結局、予定していた時間の快速になる確率が大きい。このくそ暑い中、ホームで20分弱待つのははっきり言って拷問なのだが・・・駅に到着してみたら案の定だった。
重い荷物を抱え、乗り継ぎを1回して東京駅に到達。広い駅なので在来線から新幹線ホームへ移動するだけでも結構距離がある。あ、いけね。途中でお土産を買わないと。何しろ実家の母から「いいこと?うちへ遊びに来る時とは違うんだからちゃんとしてちょうだいよね」と釘を刺されまくっている。万に一つも粗相があってはならない。伯母様はそんな告げ口などするお方ではないけど、女学校の同窓会で毎年うちの実家に泊まったりして母との接触が多い。ちょっとした会話の端々から何かまずいことでもばれたら恐怖のお説教が待っている。けど、予定してた新幹線をあまり遅らせるのもまずいと携帯のiアプリでナビタイムを起動し、検索履歴を確認することに。
「ええっと・・・10時10分発ののぞみかぁ。うん、少し時間あるな」って、ちょい待ち!“運賃の安い順”と条件かけて検索したはずなのに“こだま”じゃなく“のぞみ”ってどーいうこと?そもそもそんな大事なことをなんで今まで見落としてたんだ、私は!
数秒のパニックの後、最近ちょくちょく新幹線に乗る旦那にメール。駅員さんに聞いてもよかったんだけど、夏休みシーズンのせいか忙しそうだし第一ちょっと恥ずかしい。数分後に返信メール受信。
「今ののぞみには、全部自由席があるよ。1から3号車まで。こだまやひかりなんてめったに走ってない。のぞみが5分前後の間隔でポンポン出てるし、東京駅は始発だから絶対に座れる。お盆の帰省ラッシュは名古屋から帰る日くらいだしね」
おおっ、すばらしきかな新幹線!そんな過密ダイヤで高速列車を走らせて事故もトラブルもないとは、どこぞの国とはえらい違いである。所詮、どんなに高性能な列車やシステムを導入しようと運用するのは人間だ。我が妹が生まれた年から約47年間、営々と受け継がれて来たノウハウは伊達じゃない。政治家にはろくなのがいないけど、この国はまだまだ棄てたもんじゃないなぁとしみじみ思う。
無事お土産をゲットしてホームへ。予定の時刻に乗れなくもなかったが、わざと一本ずらして13分のにする。思惑通り、さほど乗客の姿もなく3列席の窓側から二つを確保。当然長男は窓際である。予定通り静かに発車。反比例して高まる鉄オタのテンション。のぞみなので名古屋までだと停車駅は品川と新横浜だけだが、奴と来たら通過駅を一々私に報告してくる。それも車内テロップ(ただいま、○○駅を通過しました・・・というあれ)が出る前にだ。駅付近は少しスピードを落とすのかもしれないけど、我が子ながら半端ない動体視力。それとも通過駅まで含めて全部覚えてるのか?それも充分あり得るのが鉄オタだもんなぁ。
結局一睡も出来ないまま名古屋到着。ちょうどお昼時間なので、名古屋駅で昼食後、地下鉄に乗る時伯母に連絡という手はずになっている。まずは利用する路線への降り口を確認しようと少し歩く。東京駅ほど広大ではないので、程なく発見。その周囲を見渡すと“みそかつ”の文字が。
「うん、やっぱ名古屋ならこれかな」
実を言うと名古屋はこれで3度目なのだが、最初は小学校高学年で一人旅。当然のごとく、ジュニアパイロットとかいうシステムに乗っかって空港に着いたら、従姉が車でお出迎え。そのまんま伯母の家まで連れて行かれ、明治村に行く時もこれまた車だったので市内の様子を全くと言っていいほど見ていない。2度目は20代半ばで従兄の結婚式に招かれてだが、式場&宿泊するホテルは名古屋駅のど真ん前。うろうろする暇も無く帰ってしまった。しかも伯母は名古屋方面に多い赤味噌は一切使わない。13年前亡くなった伯父共々佐賀出身なので、未だに味噌はうちの母に頼んで送ってもらってる。従って、とんかつ食べるのに赤味噌だれという思考は全くない。是非一度、食べてみたかったのだ。
味噌カツ定食を二人前頼むと、店員さんが手羽先を勧めてくる。何でもキャンペーン中で二個200円だという。試しにこれも注文。
程なくして定食が運ばれてきた。

写真を撮った後、よほどお腹が空いてたのか長男は勢い良く食べ出した。一方私は、目の前のまっ茶色な物体を繁々と眺めていた。
「これは何・・・?」
実のところ、これまで想像していた味噌カツとはトンカツに赤味噌ダレをかけたものだった。しかし目の前の物体はどう見ても焦げ茶色一色。恐る恐る一切れつまんでひっくり返してみる。おお、裏もまっ茶色だ。これはかけてると言うよりどう見ても“丸ごと浸して”いる。なんかこれに似たような料理があったような・・・ああ、そうだ! 大阪名物“串カツ”と似てるわ。ただあれだと、自分の好きな分量でソースをつけられる(ただし、二度付け禁止)けど、これは初手から“強制執行”というのが違う。まあよい、“郷に入れば郷に従え”だ。潔く(何を?)食してみる。
うん、なかなか美味。こくのある味噌だれでしっとりした衣と豚肉の絡みもなかなか良い。味がしっかりしてるので、ドレッシングなしでもキャベツが食べられるしご飯も進む。店員さんが「ご飯、味噌汁、キャベツはおかわり自由です」と言ってたが、ダイエット中でなければご飯をもう一杯くらい所望したいところだ。
程なく、手羽先到着。

長男と分け合って食べる。表面は甘辛くてパリッとした食感だが、中のお肉は意外としっとり。うーん、この表面の味付けは単純に砂糖・みりん・醤油だろうか?味からするとそんな感じなんだけど、水飴でも使ってるんじゃないかなぁ。
食べながら店の中を見渡す。お、地元ソース発見。

左端がちょっと切れてるけど、「日乃鳥ソース」だそうだ。時々あるんだよね、こういうの。長崎にも名前は忘れたけど、「皿うどん食べるならこれ!」という地元限定ソースがあって、出前を頼むとリポDの瓶に入って届けられてたそうだ。
続いて、地ビールのポスター発見。ふむふむ「金しゃちビール」かぁ。名古屋城と言えば金のしゃちほこだから、実にふさわしいネーミング。ええっと、赤ラベルがアルトタイプで、青ラベルがピルスナータイプで、それから・・・えっ?!名古屋赤味噌ラガー???ビールにまで赤味噌突っ込むのか、名古屋人!ああ、どんな味なんだろう。飲んでみたいなぁ。でも、私は一杯飲んだだけで真っ赤になる。まさか伯母様の家に行くのに昼間っから酔っ払いでは、後日母に何を言われるかわかったものではない。泣く泣く諦める。今時、大抵のメーカーはサイトを持ってるし多分ネットお取り寄せも可能だろうし。
(帰宅後調べてみたら赤味噌どころか、岡崎八丁味噌だの抹茶ドラフトだのインペリアル・チョコレート・スタウトだのインペリアル・チョコレート・ヴァイツェンだの、いかにもこってり感に満ちた品揃え。あ、もちろん爽やかタイプも多々あります。興味のある方はこちらへ)
いよいよ長男が楽しみにしてた地下鉄へ。ホームに降りたところで伯母様に電話してたら、お目当ての電車到着。えっちらおっちら乗り込む。途中で1回乗り換えて最寄り駅へ到着。地上に上がったところへ伯母様が待っていてくれた。昭和5年生まれ。御年81歳。うちの母同様、少々縮んだような感じはするものの、至ってお元気。母とこの伯母と栃木の伯母(確か昭和3年生まれ)、更に伯父(昭和6年生まれ、母より4歳年上)と、祖母は4人の子供を産んだ。伯父は結核の持病があり、40代半ばに夜中にトイレで喀血&窒息死したが、残りの3人はピンピンしている。さすが、98まで心臓病も高血圧も糖尿病も患うことなく大往生を遂げられた祖母の娘達。もっとも、配偶者が生きてるのはうちの母だけだけど・・・
伯母様の家に着くと、懐かしい風景が。なんと、最初の名古屋旅行以来建て増しも建て替えもしてないそうだ。いいかげんあちこちボロボロなので、息子(私の従兄)が今年の春頃から建て直してあげると言ってた矢先に東日本大震災勃発。今取りかかっても、資材不足で中断する可能性があるという。こんな所まで影響してるのかとしみじみ災害の大きさを実感する。
仏壇の位置を聞き、長男と共に仏間へ。我が家では親戚宅を訪問した時、仏さんがいる場合はまずお参り&お土産をお供えという不文律がある。もちろん、他人様からいただいたお土産もまずは仏様に差し上げる決まり。ここんとこ間違ってはいけない。
夕方にパパと合流して夕食を食べる約束なので、それまでは伯母様の家で休憩。シャワーを浴びさせてもらい冷房の効いた部屋で一息つく。いや暑かった。だらだらとしたたり落ちる汗で服がべっとりしてたので、早速洗濯してもらう。マジで一眠りしたかったが初めてのお宅で緊張してるのか、長男は何をするにも一々私に尋ねる。まあ無理もないか。前回この伯母様に会ったのは、祖母の葬式の時だから約18年前。長男は2歳になったばかりだったと思う。
約束の時間が迫ってきたので、再び3人で地下鉄最寄り駅へ。待ち合わせの駅でしばし待ってると、遙か彼方から改札口に向かって歩いてくる父親を見つけて長男がはしゃぐ。そんなに会いたかったのかぁ・・・
夕食を注文し、待ってる間にパパが何やらプリントアウトした紙を取り出した。
「はいこれ。明治村までの交通機関の時刻表と、中の案内図&移築されてる施設のリスト。明日、朝の○○時に××行きの電車に乗ってくれ。俺たちは途中でその電車に合流するから。あ、前の方に乗るんだぞ。あと、見たい施設をピックアップして道順を考えといて。暑いから効率よく回らないと熱中症になっちゃうから」
・・・さすがは段取り君。手回しがいいったらありゃしねぇ。時には「あーもう、そんな先走ってピーピー言わないでよ。うざいったらもーっ!」と苛々することもあるが、見ず知らずの土地では何かと助かる。
そのまま長男は父親の家へ。私は伯母様の家に帰る。長くて暑い1日がようやっと終わった。最早限界だったので、お風呂をいただいたあと速攻で寝てしまった。
重い荷物を抱え、乗り継ぎを1回して東京駅に到達。広い駅なので在来線から新幹線ホームへ移動するだけでも結構距離がある。あ、いけね。途中でお土産を買わないと。何しろ実家の母から「いいこと?うちへ遊びに来る時とは違うんだからちゃんとしてちょうだいよね」と釘を刺されまくっている。万に一つも粗相があってはならない。伯母様はそんな告げ口などするお方ではないけど、女学校の同窓会で毎年うちの実家に泊まったりして母との接触が多い。ちょっとした会話の端々から何かまずいことでもばれたら恐怖のお説教が待っている。けど、予定してた新幹線をあまり遅らせるのもまずいと携帯のiアプリでナビタイムを起動し、検索履歴を確認することに。
「ええっと・・・10時10分発ののぞみかぁ。うん、少し時間あるな」って、ちょい待ち!“運賃の安い順”と条件かけて検索したはずなのに“こだま”じゃなく“のぞみ”ってどーいうこと?そもそもそんな大事なことをなんで今まで見落としてたんだ、私は!
数秒のパニックの後、最近ちょくちょく新幹線に乗る旦那にメール。駅員さんに聞いてもよかったんだけど、夏休みシーズンのせいか忙しそうだし第一ちょっと恥ずかしい。数分後に返信メール受信。
「今ののぞみには、全部自由席があるよ。1から3号車まで。こだまやひかりなんてめったに走ってない。のぞみが5分前後の間隔でポンポン出てるし、東京駅は始発だから絶対に座れる。お盆の帰省ラッシュは名古屋から帰る日くらいだしね」
おおっ、すばらしきかな新幹線!そんな過密ダイヤで高速列車を走らせて事故もトラブルもないとは、どこぞの国とはえらい違いである。所詮、どんなに高性能な列車やシステムを導入しようと運用するのは人間だ。我が妹が生まれた年から約47年間、営々と受け継がれて来たノウハウは伊達じゃない。政治家にはろくなのがいないけど、この国はまだまだ棄てたもんじゃないなぁとしみじみ思う。
無事お土産をゲットしてホームへ。予定の時刻に乗れなくもなかったが、わざと一本ずらして13分のにする。思惑通り、さほど乗客の姿もなく3列席の窓側から二つを確保。当然長男は窓際である。予定通り静かに発車。反比例して高まる鉄オタのテンション。のぞみなので名古屋までだと停車駅は品川と新横浜だけだが、奴と来たら通過駅を一々私に報告してくる。それも車内テロップ(ただいま、○○駅を通過しました・・・というあれ)が出る前にだ。駅付近は少しスピードを落とすのかもしれないけど、我が子ながら半端ない動体視力。それとも通過駅まで含めて全部覚えてるのか?それも充分あり得るのが鉄オタだもんなぁ。
結局一睡も出来ないまま名古屋到着。ちょうどお昼時間なので、名古屋駅で昼食後、地下鉄に乗る時伯母に連絡という手はずになっている。まずは利用する路線への降り口を確認しようと少し歩く。東京駅ほど広大ではないので、程なく発見。その周囲を見渡すと“みそかつ”の文字が。
「うん、やっぱ名古屋ならこれかな」
実を言うと名古屋はこれで3度目なのだが、最初は小学校高学年で一人旅。当然のごとく、ジュニアパイロットとかいうシステムに乗っかって空港に着いたら、従姉が車でお出迎え。そのまんま伯母の家まで連れて行かれ、明治村に行く時もこれまた車だったので市内の様子を全くと言っていいほど見ていない。2度目は20代半ばで従兄の結婚式に招かれてだが、式場&宿泊するホテルは名古屋駅のど真ん前。うろうろする暇も無く帰ってしまった。しかも伯母は名古屋方面に多い赤味噌は一切使わない。13年前亡くなった伯父共々佐賀出身なので、未だに味噌はうちの母に頼んで送ってもらってる。従って、とんかつ食べるのに赤味噌だれという思考は全くない。是非一度、食べてみたかったのだ。
味噌カツ定食を二人前頼むと、店員さんが手羽先を勧めてくる。何でもキャンペーン中で二個200円だという。試しにこれも注文。
程なくして定食が運ばれてきた。

写真を撮った後、よほどお腹が空いてたのか長男は勢い良く食べ出した。一方私は、目の前のまっ茶色な物体を繁々と眺めていた。
「これは何・・・?」
実のところ、これまで想像していた味噌カツとはトンカツに赤味噌ダレをかけたものだった。しかし目の前の物体はどう見ても焦げ茶色一色。恐る恐る一切れつまんでひっくり返してみる。おお、裏もまっ茶色だ。これはかけてると言うよりどう見ても“丸ごと浸して”いる。なんかこれに似たような料理があったような・・・ああ、そうだ! 大阪名物“串カツ”と似てるわ。ただあれだと、自分の好きな分量でソースをつけられる(ただし、二度付け禁止)けど、これは初手から“強制執行”というのが違う。まあよい、“郷に入れば郷に従え”だ。潔く(何を?)食してみる。
うん、なかなか美味。こくのある味噌だれでしっとりした衣と豚肉の絡みもなかなか良い。味がしっかりしてるので、ドレッシングなしでもキャベツが食べられるしご飯も進む。店員さんが「ご飯、味噌汁、キャベツはおかわり自由です」と言ってたが、ダイエット中でなければご飯をもう一杯くらい所望したいところだ。
程なく、手羽先到着。

長男と分け合って食べる。表面は甘辛くてパリッとした食感だが、中のお肉は意外としっとり。うーん、この表面の味付けは単純に砂糖・みりん・醤油だろうか?味からするとそんな感じなんだけど、水飴でも使ってるんじゃないかなぁ。
食べながら店の中を見渡す。お、地元ソース発見。

左端がちょっと切れてるけど、「日乃鳥ソース」だそうだ。時々あるんだよね、こういうの。長崎にも名前は忘れたけど、「皿うどん食べるならこれ!」という地元限定ソースがあって、出前を頼むとリポDの瓶に入って届けられてたそうだ。
続いて、地ビールのポスター発見。ふむふむ「金しゃちビール」かぁ。名古屋城と言えば金のしゃちほこだから、実にふさわしいネーミング。ええっと、赤ラベルがアルトタイプで、青ラベルがピルスナータイプで、それから・・・えっ?!名古屋赤味噌ラガー???ビールにまで赤味噌突っ込むのか、名古屋人!ああ、どんな味なんだろう。飲んでみたいなぁ。でも、私は一杯飲んだだけで真っ赤になる。まさか伯母様の家に行くのに昼間っから酔っ払いでは、後日母に何を言われるかわかったものではない。泣く泣く諦める。今時、大抵のメーカーはサイトを持ってるし多分ネットお取り寄せも可能だろうし。
(帰宅後調べてみたら赤味噌どころか、岡崎八丁味噌だの抹茶ドラフトだのインペリアル・チョコレート・スタウトだのインペリアル・チョコレート・ヴァイツェンだの、いかにもこってり感に満ちた品揃え。あ、もちろん爽やかタイプも多々あります。興味のある方はこちらへ)
いよいよ長男が楽しみにしてた地下鉄へ。ホームに降りたところで伯母様に電話してたら、お目当ての電車到着。えっちらおっちら乗り込む。途中で1回乗り換えて最寄り駅へ到着。地上に上がったところへ伯母様が待っていてくれた。昭和5年生まれ。御年81歳。うちの母同様、少々縮んだような感じはするものの、至ってお元気。母とこの伯母と栃木の伯母(確か昭和3年生まれ)、更に伯父(昭和6年生まれ、母より4歳年上)と、祖母は4人の子供を産んだ。伯父は結核の持病があり、40代半ばに夜中にトイレで喀血&窒息死したが、残りの3人はピンピンしている。さすが、98まで心臓病も高血圧も糖尿病も患うことなく大往生を遂げられた祖母の娘達。もっとも、配偶者が生きてるのはうちの母だけだけど・・・
伯母様の家に着くと、懐かしい風景が。なんと、最初の名古屋旅行以来建て増しも建て替えもしてないそうだ。いいかげんあちこちボロボロなので、息子(私の従兄)が今年の春頃から建て直してあげると言ってた矢先に東日本大震災勃発。今取りかかっても、資材不足で中断する可能性があるという。こんな所まで影響してるのかとしみじみ災害の大きさを実感する。
仏壇の位置を聞き、長男と共に仏間へ。我が家では親戚宅を訪問した時、仏さんがいる場合はまずお参り&お土産をお供えという不文律がある。もちろん、他人様からいただいたお土産もまずは仏様に差し上げる決まり。ここんとこ間違ってはいけない。
夕方にパパと合流して夕食を食べる約束なので、それまでは伯母様の家で休憩。シャワーを浴びさせてもらい冷房の効いた部屋で一息つく。いや暑かった。だらだらとしたたり落ちる汗で服がべっとりしてたので、早速洗濯してもらう。マジで一眠りしたかったが初めてのお宅で緊張してるのか、長男は何をするにも一々私に尋ねる。まあ無理もないか。前回この伯母様に会ったのは、祖母の葬式の時だから約18年前。長男は2歳になったばかりだったと思う。
約束の時間が迫ってきたので、再び3人で地下鉄最寄り駅へ。待ち合わせの駅でしばし待ってると、遙か彼方から改札口に向かって歩いてくる父親を見つけて長男がはしゃぐ。そんなに会いたかったのかぁ・・・
夕食を注文し、待ってる間にパパが何やらプリントアウトした紙を取り出した。
「はいこれ。明治村までの交通機関の時刻表と、中の案内図&移築されてる施設のリスト。明日、朝の○○時に××行きの電車に乗ってくれ。俺たちは途中でその電車に合流するから。あ、前の方に乗るんだぞ。あと、見たい施設をピックアップして道順を考えといて。暑いから効率よく回らないと熱中症になっちゃうから」
・・・さすがは段取り君。手回しがいいったらありゃしねぇ。時には「あーもう、そんな先走ってピーピー言わないでよ。うざいったらもーっ!」と苛々することもあるが、見ず知らずの土地では何かと助かる。
そのまま長男は父親の家へ。私は伯母様の家に帰る。長くて暑い1日がようやっと終わった。最早限界だったので、お風呂をいただいたあと速攻で寝てしまった。
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